
【バックパッカーが教える地理・歴史】「シーク教徒巡礼のため異例の入国許可?」対立関係の続くインドとパキスタン 〜宗教と戦争、歴史がいま動く!〜
こんにちは!
先日、インドとパキスタンの関係が変わりそうなすごいニュース記事を見つけたので、これまでの歴史や宗教、両国の関係などを踏まえて、今回ご紹介しようと思います。
それでは、早速本題です。
ニュース記事
まずは、こちらの記事をご覧ください。
パキスタンとインドが合意し、インドで暮らすシーク教徒にパキスタン国内の聖地巡礼を認める特別な入国制度が9日、始まった。国境に近いインド北部デラババナナクからシーク教徒数百人がパキスタン側に入り、国境から約4キロ離れた、16世紀のシーク教開祖ナーナクが没したとされるパキスタン北東部カルタルプールへバスで移動した。
【カルタルプール(パキスタン)AFP時事】
インドのモディ首相は「インド国民の心情を尊重してくれた」とパキスタンのカーン首相に謝意を表明した。カーン首相はカルタルプールでシーク教徒を迎えた。
このニュースのどこがインドとパキスタンの関係が変わりそうなすごいニュースなのでしょうか。
インドとパキスタンの歴史や宗教について知れば、どこがすごいのか分かると思います。
結論から言うと、”インドとパキスタンは宗教と歴史的背景を理由に対立関係にあるにも関わらず、パキスタンはインドのシーク教徒の入国を許可し歓迎した。” ということです!これは、歴史的なすごいことです。
では、詳しくインドとパキスタンの関係について、解説したいと思います!
インド、パキスタンとは?
インドの基本情報
- 国名:インド
- 首都:ニューデリー
- 人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
- 言語:ヒンディー語、他21言語
- 宗教:ヒンドゥー教80%、イスラム教14%、キリスト教2%、シーク教1.7%
パキスタンの基本情報
- 国名:パキスタン・イスラム共和国
- 首都:イスラマバード
- 人口:2億777万人
- 言語:ウルドゥー語、英語
- 宗教:イスラム教
インドとパキスタンの関係は?
2カ国は仲が良いのか?簡単に解説!
インドとパキスタンの関係は、決して良いとは言えません。
1947年に2カ国ともイギリスから独立しました。その当時から今まで対立が続いています。長年にわたる対立の背景には”宗教”が大きく関わっています。
インドの大多数の宗教は皆さんもご存知のヒンドゥー教、パキスタンは国名にもある通りイスラム教です。しかし実際のところ、この2大宗教が入り混じっているのが現状です。それぞれの国の少数派教徒は、多数派の国民からの迫害から逃れるために移動しようとし、その間に数々の衝突が起こりました。
この衝突が過激化したことや独立時の様々な問題が原因で、独立の翌年1948年には、インド北西部のカシミール地方の領有権を巡って武力衝突、宗教対立などもありインド・パキスタン(印パ)戦争が勃発するのです。
このように、2カ国の関係は良いとは言えません。
対立の背景をさらに詳しく!(独立前)
2カ国が対立している大まかな要因は理解できたと思います。
ここからさらに詳しく見ていきましょう!
イギリスによる植民地化
先ほど解説した通り、インドとパキスタンはイギリスに支配されていました。
おそらく歴史の授業で一度は聞いたことのある「東インド会社」「アヘン戦争」この時代が、イギリス植民地時代です。
ここで学校の世界史の授業を少し復習しましょう!
17世紀にフランスとイギリスがインド亜大陸の植民地化を巡って争い、1757年の”プラッシーの戦い”でイギリスが勝利しました。そしてイギリスは”東インド会社”によって植民地化に成功!
植民地インドは中国(清)輸出のためのアヘンの生産を行い、中国はイギリスへ紅茶を、イギリスはインドへ綿織り物を輸出し、三角貿易の仕組みが生まれました。そしてイギリスは、この貿易によりインドから資産を吸い上げてゆくのでした。
思い出してきましたか???
ここからはおそらく学校では習わない内容です。
東インド会社により、インドを完全植民地化したイギリスは、実は東インド会社だけで植民地化に成功したわけではありません!
植民地化成功には、”宗教”を利用したイギリスの巧妙な手口が使われているのです。
宗教を利用したイギリスの支配
当時のこの地域は、主にイスラム教徒とヒンドゥー教徒がいました。
この宗教は信仰心がそもそも大きく異なります。例えば、イスラム教は豚とアルコールを禁止しているのに対し、ヒンドゥー教では牛は神聖な動物であるため食べられません。他にも、イスラム教は偶像崇拝を禁止していますが、ヒンドゥー教には有名なガネーシャなどの像があります。
これに着目したイギリスは、自国に反抗が向かないように両宗教同士を対立させたのです。
具体的には、ヒンドゥー教徒中心の「インド国民会議」、イスラム教徒中心の「全インド・ムスリム連盟」を設立しました。この両組織の対立により植民地化したインドですが、次第に反イギリス運動が広まり、独立に向かって行くのでした。
対立の背景(植民地から独立)
反イギリス運動と独立
イギリスに対しての不満が爆発した国民は、独立に向けて動き始めました。
これは歴史の授業で出てくる「非暴力、非服従」で有名なガンディーが関係しています。
あのガンディーは、そう、インド国民会議に加わり、そこで非暴力による抵抗運動を始めたのです!
そしてガンディーはヒンドゥー教とイスラム教が共存する統一国家独立を目指したのです。一方で全インド・ムスリム連盟は、イスラム教徒だけの国家独立を決議し、そこで新たに対立が生まれることとなりました。
そして1947年、ついにイギリスからの独立に成功!
ガンディー率いるヒンドゥー教徒の国「インド」と、全インド・ムスリム連盟率いるイスラム教徒の国「パキスタン・イスラム共和国」が分離独立という形で誕生しました。
異教徒混在とさらなる対立
無事にイギリスからの独立を果たしたインドとパキスタンは、さらに対立を深めます。
ヒンドゥー教徒はインド、イスラム教徒はパキスタンとして独立したものの、完全に分離することができずに2つの宗教が混在していました。
ガンディーが殺害されたのはこのころで、インド国内で少数派となったイスラム教徒に対する理解を深めようとしたところ、ヒンドゥー教徒から反感を買い殺害されました。
そして、インド国内ではイスラム教徒が、パキスタン国内ではヒンドゥー教徒が迫害を逃れるためにそれぞれ他国に移動を試みるのです。しかしその移動中、各地で宗教同士の衝突が起こり100万人近くの人が亡くなりました。
この衝突によって、2カ国の関係はさらに対立して行くのでした。
第一次インド・パキスタン戦争 勃発
インド・パキスタン戦争(印パ戦争)は、1947年に始まったインド北西部のカシミール地域の領有権を巡った争いです。
独立当時、カシミール地域はヒンドゥー教徒が統治していたものの、半数以上がイスラム教徒と複雑な関係がありました。また、独立時に国境を定めなかったことも戦争勃発の要因で、それぞれの国がカシミール地域の領有権を主張したのです。
イスラム教徒が多いことからパキスタンは自国の領地だと主張、それに対しインドが軍を送り衝突が起こりました。
1949年に国連が仲介に入り停戦となりましたが、インドが2/3、パキスタンが1/3が支配するようになりました。
第二次インド・パキスタン戦争
1965年に、再びカシミール地域の領有権を巡った衝突が起こりました。
1966年には国連の仲介により第一次印パ戦争と同様に、停戦しました。
第三次印パ戦争とバングラデシュ独立
インドとパキスタンの間で起きた3回目の戦争である第三次印パ戦争は、これまでの戦争とは違い、バングラデシュという国が関係しています。
現在インドの東側に位置するバングラデシュ人民共和国は、かつて東パキスタンと呼ばれ、西パキスタン(現在のパキスタン)に支配されていました。
巨大サイクロンを機に独立運動が始まり、それに対し西パキスタン軍の制圧が行われたことで、東パキスタンからインドへ難民が流出、インドは東パキスタン独立のために西パキスタンと全面戦争を行いました。
これが第三次印パ戦争です。
東パキスタンと西パキスタンの間にインドがあったため、この戦争はインドの勝利。東パキスタンはバングラデシュという国名で独立することとなりました。
2019年の対立状況は?
2019年8月、インドがインド領カシミール地域の特別自治権を剥奪したことに対してパキスタン側が反発し、カシミール地域にある停戦ラインを挟んで衝突がありました。
これにより10人以上が亡くなったとされています。
さらに8月下旬、インド軍がカシミール住民を拷問したとされるニュースが流れました。
これらの衝突などにより、2カ国間の緊張状態は高まり印パ戦争の再勃発が懸念されていました。
ではここでもう一度冒頭で紹介した記事を読んでみましょう!
パキスタンとインドが合意し、インドで暮らすシーク教徒にパキスタン国内の聖地巡礼を認める特別な入国制度が9日、始まった。国境に近いインド北部デラババナナクからシーク教徒数百人がパキスタン側に入り、国境から約4キロ離れた、16世紀のシーク教開祖ナーナクが没したとされるパキスタン北東部カルタルプールへバスで移動した。
【カルタルプール(パキスタン)AFP時事】
インドのモディ首相は「インド国民の心情を尊重してくれた」とパキスタンのカーン首相に謝意を表明した。カーン首相はカルタルプールでシーク教徒を迎えた。
対立の中での合意 記事から分かること
対立関係の続いていたインドとパキスタンですが、インド在住のシーク教徒がパキスタン側の寺院を訪問できるよう巡礼路の建設が進められ、シーク教徒のビザなしでの巡礼を認めることなどで両国政府が合意しました。
11月9日に開通式が行われ、早速その巡礼路を利用してインドのシーク教徒がパキスタンに入国しました。この開通式にはインドのシン前首相や、パキスタンのカーン首相が出席しました。
長年にわたり対立してきたインドとパキスタン。現在もカシミール地域の領有権を巡って対立は続いていますが、関係改善の兆しが見えてきたように感じます。
もちろん、何十年もかかっても改善されることのなかった対立関係がすぐに改善するわけではありませんが、この歴史的瞬間が、関係改善への一歩へ繋がったのではないでしょうか。
最後に
私は最近モスクへ行く機会が多いのですが、日本のモスクにはパキスタン人がとても多いです。彼らの故郷は外務省安全マップによると、レベル3〜MAXのレベル4と危険であることを示しています。
今回の記事のような出来事がきっかけで、彼らの故郷に平和が訪れて欲しいと願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!